どうもこんばんは。
連続投稿中、おかちんです。
反応があると、なぜか嬉しくなって捗りますね‼️
さて、昨日は少し真面目に書きましたが、その続きです。
広島土砂災害で悔しい経験をした僕は、子どもたちの心に寄り添いたいと考え始めます。
しかし、専門知識もない僕。
無力感に苛まれた僕はどうすればいいんだろうと悩みます。
特別支援教育アシスタントや様々なところで実際に身体を動かしながら、模索しますが、なかなかうまくいきません。
その時、ちょうどお世話になっていたところの先生からある勉強会に参加してみたらと誘われます。
教員や教育学部で学んでいる学生が多くいる中で、なぜかメディアビジネス専門の僕が参加をしました。
最初は皆びっくり。なぜ参加することになったのかと。
僕はありのままに経緯をいろんな人に話していきました。そしたら、
「うちで勉強してみない?」
そう言ってくれたのが、今大学院でお世話になっているゼミの先生でした。
といっても、教育についてど素人が、教育では有名とされている広島大学に進学すると。
かなり反対をされました。
わざわざ広島大学じゃなくても、もう少し入りやすい教育系の大学院に行けばいいんじゃないか?
メディアビジネスなんだから、普通に就職しないのかと。
親もびっくりです。
大学に行って就職するかと思えば、大学院に行くと。
それも今通っている大学の大学院ではなく、教育でしかも広島大学だと。
それでも子供達のために何か学びたいと思っていた僕は受験を決意します。
しかし受験はかなり苦戦しました。
4年生の9月に前期日程で受験しますが、不合格。
就活もしていない、でも大学院に受かる保障もない。
かなり不安が僕を襲いました。
周りからはやっぱり大学院先を変えたらとか、今からでも就活遅くないからしてみたらと。
そんな言葉は僕の思考をマイナスにします。
落ちたらどうしよう。
やっぱり間違っていたのか。
更に10月頃には気分転換にやっていた野球で、まさかの右手薬指第一関節をデッドボールで骨折します。
ただでさえ、勉強をしないといけないのに、治療や文字が書けないのはかなり痛手でした。
ずっと不安が僕を襲う中で、2月の試験。
なんとかやったものの、自信はありませんでした。
そして、合格発表の日。
無事合格をし、今に至ります。
学部時代のゼミ先生とよく話すのですが、
「おかちんの人生は、確かに点でみるとバラバラだし、嫌なことや苦労したことが多かったんだろう。でも(合格したとき)、今までの人生がどうだったのか振り返ってみてみてると、綺麗な線として、縁やら出来事が繋がっているじゃないか?」
確かにそう思います。
でもここまで歩んでこられたのも、かなりのご縁があったからかなと思います。
皆さんも今一度、人生を振り返ってみるのはいいんじゃないかなって思います。
経歴や見た目だけだと、なぜ僕が広島大学に行ったのかわかりませんし、不思議がられることもよくあります。
しかし、ここまで読んでくれた方はなんとなく僕がこういう人生を歩んできたのかはわかるのではないかなと思います。
大学院での話は濃いので、また次回。
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