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未来の教育者としての第一歩:私の幼少期と中学生時代

おかちん

おかちんと申します!

周りからの影響もあり、これから社会で生きていく上で自分を出していくことが大事だと感じ、文章にまとめることにしました。

拙い文章ですが、一読いただければ幸いです。

目次

おかちんって何者?広島大学での研究生活

現在、広島大学教育学研究科にて学習開発学を専攻しています。

発達障害の当事者やその関係者を対象に、より良いキャリア形成のためのサポートについて研究しています。

この紹介だけを見ると、順風満帆な人生を送ってきたように思われるかもしれませんが、実際はそうではありません。

私の人生はかなり右往左往し、自分でもなぜそうなったのか理解できないほどです。

幼少期から順を追って、ざっくりとお伝えしたいと思います。

幼少期:好奇心旺盛な子ども時代

私は幼少期からイノシシのように活発で、何にでも興味を持ちましたが、その一方で次のことに進むのが苦手な子供でした。

普通なら両親と離れるときに泣く子が多いですが、私は笑顔で「バイバイ✋😃」と言い、両親にとってはショックだったようです。

母方の祖父母にとても可愛がられ、私が現在の私でいられるのは、二人の影響が大きいと感じています。

小学校時代:多趣味で好奇心の塊

私は何にでも首を突っ込むタイプで、ソフトボール、合唱クラブ、そろばん、放送部、図書部と興味のあるものには全て挑戦しました。

音楽で気に入ったダンスがあれば、上手くもないのに靴箱で踊ったり、「カッコよさそう」と思ったけん玉を始めたりと、好奇心の塊で生きていました。

また、曲がったことが嫌いで、コソコソしているのが嫌だったため、時には人が傷つくような言葉を平気で言ってしまい、大人にこっぴどく叱られたこともありました。

ただ、その時に自分を理解してくれる先生がいたおかげで、なんとかグレずに過ごせました。

中学校時代:優等生と怪我の思い出

周りからは優等生タイプに見られ、生徒会長を務め、成績もそこそこ良かったです
(こう書くと、かなり嫌らしいですが。笑)

一番の失敗は、遊びで塀から飛び降りてバランスを崩し、後頭部を7針も縫う怪我をしたことです。

親からは「花田一郎」と呼ばれ、同級生からは「貯金箱」や「メロン🍈」と呼ばれていましたが、生徒会の人間として表では「福がある〜」と言われることもありました。

性格的にはこの時期に大きく変化しました。

恩師のS先生から「話すよりも聞くことが大事だよ」と言われ、ピアサポートプログラムを受けることになりました

この経験が、今の私を形成する重要な出来事となりました。

しかし、志望していた高校には入れず、中3の冬は心理的に非常に辛い時期でした。

しかし、この高校選択が後に大きな転機となりました…。

次回は高校生から現在までをざっくりと書きたいと思います。

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